憧れだったもの
明治のマーブルチョコ。
小さいころ筒状の箱に入った
このチョコが憧れだった。
なかなか買ってもらえなかった。
フルタ製菓のマーブルチョコに
よく似たチョコが我が家の定番で
値段が安くてマーブルチョコは
高いから買ってもらえないと思ってて。
買ってともお願いできない私がいた。
おねだりすることはいけないことだと
思っていた。
でもマーブルチョコが本当に
欲しいものではなかったと
今日気がついた。
母親の愛情だったのかも。
おねだりしても許してもらえる
ありのままの私をみて欲しかったのかもしれない。
そんなことをマーブルチョコ食べながら思ってた。
母親の愛情を得たくて
わがままを押さえていたのかもしれない。
母親の世話をすることを
辛いと思いつつ
世話をするのが娘として
義務のような気もしていた。
兄も色々ありあてにできず
迷い混んだ迷路のように
思考をグルグルまわして
先読みして世話をするのは
私の思考の癖で😰
母親が望んだときだけ
私は手をかせばよいのだと
今日、通院に使う予定で
介護タクシーの契約をケアマネさんやデイのスタッフの方々としているときに思っていた。
デイサービスも楽しそうにやっているようだし。
ケアマネさんたちの姿を見えなくなるまで見つめる母親の孤独な姿は
まだ49歳の私には計り知れない
『老い』という
寂しさの入り交じった
気持ちなのだと思う。
でもよいスタッフの方々に
出会えたねと言うと
頷く母親をみて
私はもうひとつの役割を
終えたのかなと思っていた。
将来、今の住居を離れて
違う🌊に近い都市に移住したいなぁと
思っていて。
その準備を始めることにした。
あと、アコギを始めようかと🎵🎸
今度は私が私の世話をする番が
やっときた✨