空、花、コスメ

空、花、コスメ、好きを綴ります

2年

子宮体がん1aで手術して2年。

12日の受診で月イチの受診が
三ヶ月に一度になった。

月イチの二年間は再発や転移がないか
祈るような思いで
病院までの道のりを進んでいた。

三ヶ月に一度になって
すこし緊張の糸が緩んだようで。

術後からあったことが
走馬灯のように浮かんでくる。

一年たった頃から家族に色々あった。

卵巣欠落の症状が襲ってくる。
卵巣がなくなるとは 
こういうことなのかと思うくらい。

頑張ってきたんだなと。

張りつめてた。

五年までは安心できないけど
この二年間。
ちょっと無理したりもした。
今年いっぱいはお休みだなと
思ったりしてるけど。

息子は受験だ。

私もここ7年やってきたことを
全て諦めて前に進む準備中だ。

でもやっぱり
私のなかには

『誰かの役に立ちたい』
その想いしかなくて。

人と人の間で傷つくこともあるけど
私はやっぱりそういう風にしか
生きられないのだ。

前を向いて歩こう。

自分らしさとは何じゃろ?

ブログ書きませんか?と
はてなブログからメールが来まして

ブログ~、放置してました。

それでもみてくれる人がいるんですね。
感動です、感謝です🍀

ワタクシ、
7年前に諸々で離婚しまして、
その前後からカラーセラピーだとか
心理学だとかをかじりながら
自分がどうしてこんな人生を送ってきたのか、
また周りの人たちとの関わり方を
学んできました。

このブログでも私自身の親について
時折触れましたが

昨今、『毒親』関係の本が多いですね。

ドラマで取り上げられたりもしてますね。

私も色々学んでいくうち
生まれてから人としての人格を作り上げる間を共にする

『家族』

この関係性の中で育まれるものは
大きいのだと思います。
自分が思っているよりもずっと
影響を受けてます。

もちろんこれは親だけではなく
兄弟姉妹も含みです。

私も心理学をとことん学んではいませんので、心理学者さんのような
詳しい話はできませんが

毒親も一人の人として
精一杯生きてきた一人の人。

もちろん暴力をふるったりしては
人としてはいけませんが
残念ながら親に暴力を受けて
それはもちろん、言葉の暴力もありますが
傷ついたまま生きてる人もいます。

私も今は母しか存命してませんが
母はやっと今、自分の人生を
自分で楽しむようになりました。

入院し、病院の先生や療法士さんに
支えられたことで
周りに心を開くことができたのです。

退院後、ヘルパーさんや
デイサービスに行くことで
人との関わりのなかで
うつ病になる前の昔の母に
少し戻れたのかもしれません。

親と兄弟姉妹と仲良くできれば
それが理想なのかもしれません。

でもそれができなくても
私はいいのではないかと思ったりしてます。

血縁だけではない人との繋がりも
あります。

家族も、兄弟姉妹も
仲良くしていく努力は互いに
それなりに必要なのだと思っています。

もちろんこれは結婚したパートナーも
一緒なんです。

親が苦手!兄弟姉妹苦手!
あってもいいですよ。
だってそれぞれが違う人だから。

本当は話し合う、理解しあう。
努力ができれば一番ですね。

親が悪いわけではない
親の育て方が悪かった訳じゃない
親もそういう風にしか生きられなかったのだろう。

子供を育てる過程は決して
平坦ではないから

『自分が違っていたかなと思った時に、違うやり方を考えたり、方向性を変えたり』

そして家族や出会う人とちゃんと向き合えるようにしていたい。

そんなことができる人でありたいと
最近思うようになりました。

もちろん子供は親が思うようには
育ちませんし
自分がベストの体調ではないこともあります。

ありのままの私を子供に見せていくしかないのかなと思います。 

さて、タイトルの

『自分らしさとは何じゃろ?』ですが

これはたぶんね。

自分らしさなんて
こだわんないほうがいい(笑)

だって日々刻々と自分
変わってくよ~❤

こうだったと思ってた自分が
いきなり次の日全く違うことをしてた
とかあるもん。

だから
毎日自分が何を感じてるか
ちゃんと知ってあげることだ❗

ミスチルの歌にも

『自分らしさの檻のなかで
もがいてるなら、僕だってそうなんだ』って歌詞あるでしょ? 

自分らしさはたぶん周りや
自分が作ったイメージや価値観の檻。

だったらそんな檻は要らないのかも。

ビオラ

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おうちのビオラがいっぱい咲いてたのですこしだけ摘んで小さな花瓶にいけてみました。 

ビオラの花束みたい。

母の日なのに

久しぶりのブログ。

今日は母の日でしたね。

なのに、身体が動きません😭💦💦
  
疲れて限界だったのでしょう。

9日、入院中の母のお見舞いにいって
暴言吐かれまくりまして
これは何度目かわからくて
うつ病だからと許せる範囲を
越えてしまった…。

うつ病って怖い。

暴言は今回だけでなくて
私がガンの術後すぐにも
訳のわからないいいがかりを
言われて
電話だったので
電話口で泣いたら謝っては来たものの
また何度でも同じことを繰り返すんだな。

何か不安なことがあると
逆ギレのように相手に暴言を吐く。

あぁ、もう限界だと思った。

私のせいにする、誰かのせいにする。

医者に適当な距離感で付き合いなさいと言われて
何とか今まで危ない橋を渡りながらも
母と付き合ってきた。

きっと言ったことは忘れてるだろう。

最後の最後の手段と思っていたけど
これが母との別れになるかもしれない。

母の日なのに母との関係を
断とうとしてる
決断の母の日になってしまった。

愛を注ぐ人

昨日の愛を乞う人が母なら

私は愛を注ぐ人。

愛を注げば愛されると信じてた。

究極のよいムスメを小さい頃から
離婚する41才まで演じた。

結局愛を注いでも離婚した夫には届かなかったのだ。

20年連れ添った。
頑張った。
よくやった。

どんなに人格踏みにじられても
私を否定されても許し我慢してきた。
19年目、父の入院をきっかけに
それが雪崩のように崩れる、あっという間に。

理由はただひとつ。

私も私を愛する、大事にする方法を知らなかった。
自己肯定感が低い人だったのだ。

自分を知らず、人に委ねていた。
歩いているのは自分の人生ではなく
離婚した夫の人生だったのだ。

引き寄せた離婚した夫も同じだった。
自己肯定感が低く、親に敷かれたレールを
歩いてきた人だったのだ。
でも、育った環境が自営業だったから
それも当然だったのかもしれないけど。

私は自分を愛するレッスンを
離婚してから学び続けた。

カラーセラピーアロマテラピー
心理学、ヨガ。

ヨガは本当に効果的だった。

続けるうちにどんどん価値観が変わってく。

『正しい』、『間違ってる』
『良い』、『悪い』

という、判断なんて無駄なこと。

ただ心地よいという感覚を続けていく。

自分であることを心地よいと思う。
前屈が苦手だったのにできるようになった。
そんな小さな喜びが積み重なり自信となる。

それを教えてくれたのはヨガだった。

私は愛を乞う母親に育てられた。
だから同じように愛を乞うていたと思う。
自分が愛されたいから人を愛していたと思う。

違ってた。 

自分愛さなきゃ、人も愛せない。

離婚はそれを私に教えてくれた。

思えばすごく辛いレッスンだったけど、
今、ひとつの後悔もなく
ここにいる私が誇らしい。

長い時間をかけて
小さな頃の私が、インナーチャイルドが、
喜びをみつけた。

私は私でいいんだよと。

自分が楽しくなきゃ、心地よくなきゃいけない。

ね💕

愛を乞う人

2月以来の更新。

忘れてたブログ(笑)

3月1日に母親が緊急入院した。
第一腰椎圧迫骨折。
現在入院中リハビリしています。

ブログタイトルの愛を乞う人。

愛を乞う

誰もが愛されたい、愛されたい。

All you need is love.

私は愛したいほうだと自覚してる。

愛を注ぐほうなのかもしれない。

身を削り愛する方だったけど
やめた(笑)

これは私の母のお話。

81才。

小学校低学年の時にほぼ数ヵ月の差で父親を亡くしたあと母親も亡くなった。

兄姉に育てられた母親は人に
迷惑をかけたくない。
そんな脅迫観念で生きてきた。

文字通りマジメにきちんと
生きてきた。

私の家は父、母、兄、私の四人家族。
父は約八年前に他界した。

母が『愛を乞う人』だと
気がついたのは
私が離婚をしてからのこと。

何か私や兄が母親のお世話をすると
気に入らないと怒り、
私に貴女が悪いという罪悪感を植え付けて自分の世話をさせようとする。
離れられないようにする。  

共依存だ。

気がついた私は、
『私は私で、貴女は貴女だ』と
繰り返し伝える。
境界線をつけなければ
共依存の波に飲み込まれる。

離婚して心理学やインナーチャイルドについて学んだ私は母親のなかの
インナーチャイルド』に
たびたび出会うことになる。

『だって私、あなたたちを一生懸命育てたのよ、返してくれるのが当然じゃない、親孝行してよ』

と、ある日言われた。

いや、子供には子供の人生もあるんですけどね…。
親孝行ってそもそも子供が
元気でいてくれることが
親孝行だと私は思ってるよと話す。
 
だってね、
おぎゃーって生まれたときから
もう別の人生ですから。

母のインナーチャイルドはまた叫ぶ。

『私を愛してよ、そばにいてよ、私の気持ち分かってよ』

無言の母の心の叫びは続く。

わかりません。
だって私も兄も貴女の親じゃないし、夫でもないもん。

娘として母を愛してるけど
一蓮托生のようには愛せないよ。

親を幼くして亡くした母には
無償の愛を注いでもらった経験が
薄かったのだろう。

年齢を重ねるごとに
『愛を乞う』傾向が強くなっている。

心が不安定なんだろう。

自己愛ってナルシストみたいに
思われるかもしれないけど
自己愛って大事。

何したって自分を認めて自分の気持ちに寄り添えるのは自分。  

『今、自分が何を感じているのか』を自分がキャッチして
自分で動かなきゃね。

自分のよき理解者はまずは自分でなきゃいけない。

まるで小さな子供のように
周りに愛を乞う母。

愛を乞うてる自分には気づいてない。

頑張ってる自分にヨシヨシして
あげられるのはまずは自分。  
自分で自分をまず愛してあげることを
覚えてほしいと願うムスメです。

この間テレビで自分を褒めて眠りにつくとよい睡眠になると話してた医者がいたけどすごく納得した。

私も私の人生があるから
母親には無償の愛は注げないし
子供っていい意味で

『親を裏切るもの』だと私は思ってて。

思い通りにならなくてナンボだと
思っている。

決して親は子供には  

『愛を乞う』てはならない。

間違えなく今の母親と私は
逆転の立場にいる。

機能不全家族👪とは
いいたくはないけど

母親のアドバイザーやカウンセラーになってしまっている。

そろそろ私もカウンセラーはやめたい。

私の道を歩かなければと思う。

そして私は息子に
『愛を乞う人』にならないようにしなければ。

委ねてみようかな。

私はどうやら素直すぎるらしい。

沢山の情報に埋もれると
自分軸を見失うこともあるようで
マイペースでいながら
誰かを極端に信頼してしまうとか
そんなところがあったようだ。

時々SNSを離れる時間が
必要なこともある。

溢れている情報の中で
自分に必要な情報を上手く
ピックアップする
そんなことも必要なんだとしみじみ
思う。

去年辺りからどうも
今までいた場所や人間関係が
変わってきてて
次の場所が何処なのか探してる感じだとは思ってて。

でも未だ見つからないんだけど(笑)

あっ、今、ブログ書きながら
次の場所が何となく見えてきた。
そこに行かなきゃ。
 
何だろ、この変化は?

これ以上今までの場所にとどまる必要はないんだよと
誰かに背中を押されてるようだ。

この変化の波は私をどこに
連れていくのだろう。

委ねてみようかな。